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zoom RSS 徳井神社ってマジで・・・。

<<   作成日時 : 2013/04/15 07:55   >>

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私の名字は徳井です。

こんな入りで大丈夫なんかなって思いますが・・・・・・。

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以前からは名前は承知していたンですが、なかなか縁がなく、たぶん10年は過ぎたと思います。

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来ましたね・・・ついに・・・・・。メチャ嬉しい限りです。

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お守りも購入です。そのときに・・・・・・。

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ここの奥様のお話をおきき致しましたら、「徳井」って名字のかたが、毎年ご祈祷に来られてるようで・・・。

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これまた、家紋も「丸に橘」も一緒やし・・・・・・・。

橘:ミカンの一種。
桃の節句には桃とともに飾られ、香気と雪に強い生命力にあやかるため家紋に使う。

源平藤橘の名字の祖といわれるひとつの【橘氏】の代表紋が【橘紋】。

橘氏のちょっと歴史をいうと、第30代天皇の敏達(びたつ)天皇(538?〜585年)の血筋の美努王(みののおう:?〜708)に嫁ぎ、女官長として宮廷に使えた【縣犬養三千代:あがたいぬかいのみちよ:橘三千代:たちばなのみちよ(?〜733年】が始祖。
和銅元年(708年)に第43代天皇の元明天皇が即位の祭儀の宴に際し、長年の労をねぎらい、果物の王とされ、『非時香菓(ときじくのかくのこのみ:意味・夏に実り、秋冬になっても霜に耐え香味が変わらない木の実)』と呼ばれた橘を浮かべた酒杯とともに『これをもって氏とせよ』といって【橘】の氏を賜ったとされる。
もともとは三千代一代限りのものだったが、天平8年(736年)、子の葛城王(かずらきのおう)と佐為王(さいのおう)の臣籍降下(皇族の身分から離れて、一般人になること)に際して与えられ、二人はそれぞれ橘諸兄(たちばなのもろえ:684年〜757年)、橘佐為(たちばなのさい:?〜737年)と名乗ることとなり、こうして氏族としての【橘氏】が成立した。
ただ橘諸兄は左大臣までのぼるが、その栄華も諸兄一代で終わる。
子孫は、曾孫の橘逸勢(たちばなのはやなり:?〜842年)が遣唐使して中国へ留学し、帰国後、政変に巻き込まれて流罪にされる。
書が巧みで嵯峨天皇、空海と並んで【三筆】といわれた人物。
後世で子孫と称している武士は【楠木正成】。

橘紋の始まりは明らかではないが、常緑である橘は縁起の良い植物とされてきたが、橘氏の勢力は先程の諸兄のあとは色あせていき、直系は16世紀後半で滅びたとされる。
橘紋もわずかに残る子孫が伝えるとなり、衰退していくかと思えたが、橘氏とは別の流れから新たな花を咲かせ、井伊氏、黒田氏、久世氏などが橘紋を用いるようになった。
今では日本十大紋のひとつに数えられている。

【丸に橘】で有名な武士が井伊氏。
井伊氏は彦根藩を治めていた大名。
井伊氏の祖の【井伊共保:いいともやす:1010年〜1093年】が出生の際に、そばに橘があり、産着に橘の紋をつけた。
これにより井伊氏は橘を衣類の紋とした・・といわれている。

また日蓮宗の寺紋が【丸に橘】
これは日蓮宗の開祖・日蓮の出自が井伊氏の一族・貫名(ぬきな)氏より出たという説。


なんのつながりもナインやろか、それともめちゃんこゆかりがあるンやろか・・・・。

知るよしもてだてないし・・・・・、でも知りたいネ。

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しっかりとお願いしてきました。

で、気になる風景です。

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史料館って・・・・、重いねなんか・・・・・。見てみたい気がします。


なにが詰まってンねやろ・・・。

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